何も考えずに時間を埋められる場面が明らかに増えました。
退屈を感じるより先に指が動いています。
少し手持ち無沙汰になる。ポケットからスマホを取り出す。
気づけば数分、あるいは数十分が過ぎている。
この流れはもはや反射に近いです。考えて選んでいる感覚がほとんどありません。
以前の暇は、もう少し扱いにくいものだったと感じます。
暇になるとまず静けさが訪れ、どう過ごすかを決める必要があった。
本を読むのか。外に出るのか。誰かに連絡するのか。
選択肢は今より少なかったはずなのに、
なぜか時間は今より長く感じられていました。
ここで重要なのは、行動の種類ではない気がします。
決めるまでのあの「間」です。
何も起きていない時間。刺激が差し込んでこない時間。
あの時間には、独特の居心地の悪さがありました。
落ち着かない。手持ち無沙汰。どこかそわそわする。
けれど、その感覚と引き換えに、別のものが立ち上がっていた気もします。
考えが浮かぶ。どうでもいい記憶が蘇る。妙な不安が顔を出す。
あるいは、特に意味のない思考がただ頭の中を流れていく。
当時は、それを有意義だとは思っていませんでした。
むしろ邪魔で、退屈で、早く埋めたい時間でした。
振り返るとあの時間はかなり特殊だったのかもしれません。
なぜなら現代の暇には、そもそも思考が入り込む隙がほとんどないからです。
暇が減ったというより、暇として認識される前に処理されてしまう。
退屈が始まる前に時間が埋まる。静けさが訪れる前に刺激が入る。
結果として、何も起きていない時間そのものが消えつつある。
この変化は便利さとして語られがちですが、個人的には少し違う印象を持っています。
暇な時間が問題なのではなく、暇な時間に勝手に始まっていた思考のほうが
今はむしろ希少になっている。
そんな感覚があります。
退屈の役割
退屈は必要な感覚だと考えています。
退屈な時間というのは、落ち着いているようで実は少しざわつきます。何かをしたほうがいい気がするのに、特にやることがない。あの妙な居心地の悪さです。
この感覚があるとき、人の頭は自然と動き始めます。考えようとしなくても、勝手に何かを考えてしまう。今日あったことを思い出したり、昔の出来事を引っ張り出したり、まだ起きてもいないことを想像したり。
以前はこの状態をあまり好ましく思っていませんでした。ただの暇な時間、ただの無駄な時間という感覚が強かったからです。
けれど今は逆の印象を持っています。
退屈があるときだけ思考は途切れにくい。ここが重要だと感じています。
現代は、退屈を感じた瞬間に別の刺激へ移動できます。少しでも間ができれば、ほぼ無意識で時間を埋められる。これは便利さとして語られますが、頭の働きという観点では別の変化も起きています。
考えが続かなくなる。
正確に言えば続く前に切り替わる。
少し退屈を感じる。すぐ別の情報に触れる。すると、さっきまで頭に浮かびかけていた考えはその場で消えます。
この流れが日常になると、思考は短距離走のようになります。
以前の退屈には、簡単な逃げ道がありませんでした。だから頭の中の考えが中断されにくかった。深い思考が生まれていたかどうかは別として、とにかく長く居座っていた。
今はその居座る時間が減っています。
私はこれをかなり大きな変化だと見ています。
退屈は無駄な時間ではなく、思考が留まりやすい環境だった。少なくとも、私自身の体感としてはそう整理できます。
退屈が減ったことで快適さは増えましたが、その代わりに考えが続く時間は確実に削られている。
この交換は、意外と軽く扱われすぎている気がします。
暇の使いかた
暇の扱い方は能力に近いものだと思っています。
私は暇ができるとほぼ反射でスマホに手が伸びていました。特に疲れている日ほどその傾向は強く、何かを考えるより先に時間を流し始める。楽ではあるけれど後から振り返ると妙な感覚が残ります。
休んだ気はするのに頭が休んだ感じがしない。
この違和感をはっきり意識するようになってから、暇の過ごし方を少し変えました。
といっても大げさな話ではありません。
暇だと感じた瞬間にすぐには埋めない。
これだけです。
数分でもいいので、の状態を放置してみる。するとかなり高い確率で同じことが起きます。頭の中で勝手に考えが動き出す。
仕事のことだったり、全く関係ない記憶だったり、どうでもいい疑問だったり内容は毎回ばらばらですが、とにかく思考が流れ始める。
面白いのはここからです。
少し放っておくと、考えは勝手に整理されます。
無理にまとめなくても、無理に答えを出さなくても、ただ続いているだけで形が変わっていく。これは意外と強い実感があります。
暇は消費する時間ではなく、思考が自然に流れ出す数少ない入口になる。
私は本気でそう考えています。
もちろん、常に何もせず過ごすのは現実的ではありません。ただ、すべての暇を即座に処理してしまうのも少し極端な気がします。
暇を埋めるかどうかを選ぶ。
退屈を避ける時代だからこそあえて退屈を短時間だけ許す。ここに意外な効能があると感じています。
少なくとも私にとって、暇とは休憩でも無駄でもなく「頭が勝手に動き出すための時間」になりました。
便利な時代ですが、暇だけは少し不便なまま残しておくほうがいい。
今はそんな結論に落ち着いています。



