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Jan 31, 20262 weeks ago

The "Mistake" I Cannot Bury

スイスイ/エッセイスト@suisuiayaka

AI Summary

This deeply personal essay recounts a decade-old humiliation that resurfaces for the author when she hears a song in a movie theater. The music belongs to a now-successful band fronted by "S-kun," a talented guitarist she met online in her mid-twenties. At the time, she was a 24-year-old office worker desperate to pursue music, but she had misrepresented her abilities on a band member recruitment site, presenting herself as a competent guitarist-vocalist when she could barely play. Despite their shared musical tastes and immediate creative rapport, their first studio session revealed her profound lack of skill. Overwhelmed with shame yet unable to confess, she perpetuated the charade, engaging in a year of weekly, fruitless "sessions" with S-kun and a drummer friend, all while avoiding the glaring truth that she was a fraud. The core of the essay explores the nature of this "mistake" and its eerie repetition in her life. At 35, now an established essayist, she realizes she is making the same error by doggedly writing novels—a pursuit she feels no genuine passion for—because she believes it represents a "correct" path to literary prestige, just as she once believed being a musician was the only valid life. Watching S-kun's electrifying live performance, she recognizes his "authenticity" stems not from fame, but from the palpable joy and immersion in his craft. This sparks a revelation: being "real" means pursuing what genuinely feels fulfilling to you, not a prescribed idea of success. Her key takeaway is a hard-won self-awareness. She abandons the forced novel-writing to return to essay writing, which she truly loves. She also reflects with profound gratitude and apology toward S-kun, speculating that his patience may have stemmed from a genuine, warm love for music itself. The essay concludes with the understanding that while past mistakes remain mistakes, they can lead to clarity. She vows to stop chasing validation and instead devote herself fully to what brings her authentic joy, even as she remains a fan of the musician whose path helped her see her own.

恥ずかしいことを思い出すと、エスカレーターでもレジ前でも台所でも叫んでしまう。多分あれは脳に湧いた大恥闇に一瞬でも蓋をするための反射。そういう閉じ込めの叫びとして最近大きく声を出したのは、映画館でだった。客席はまだ薄く明るく、予告が流れている時間だった。恋愛邦画の予告。そこで流れた音楽に私は脳味噌を掴まれた。かぶせた蓋も木っ端微塵。その大音楽のなか私の叫びは霞み、両隣にいる息子たちには気づかれなかった。

他予告もすべて終わり真っ暗。子供達が楽しみにしていたアニメ映画本編が流れだす。そのアニメ90分を、私は確かに目で見ていたはずだけど、何も覚えていない。私の頭は10年前の「恥ずかしいこと」でいっぱいだった。スクリーンに向けていた視界は、ぜんぶぜんぶぜんぶあの頃の下北沢になった。

(ここに書くことより恥ずかしい経験がある人はぜひ教えてバトルしてください)

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かなり時はさかのぼる。
2009年夏、社会人2年目。

地元から上京して営業職をしながら、わたしはmixi等のバンドメンバー募集掲示板に登録していて、そこで出会ったギタリストの人たちと毎週末会っていた。会社の誰にも言わなかった。40人以上とやりとりしつつ、15人くらいと会った。そのなかの一人がSくんだった。

掲示板にはそれぞれ自己紹介や好きな音楽を載せていた。何百人の情報の中から、Sくんのページをはじめて見たとき「出会ってしまった」と思った。一切の絵文字を使わないところも良かったし、なにより他の登録者達がいかにも「自分は音楽通です」と主張しようとマイナーアーティストばかり載せるなか「尊敬するアーティスト」が“宇多田ヒカル”のみなのも良かった。

でも「好きなアーティスト」欄は細かく、ロックやテクノやサイケなどあらゆる国とジャンルが並び、本当に音楽が好きな人なんだと思った。Sくんが活動していたバンド音源も貼ってあった。ぶちのめされるほど良くてそのままファンになりそうだった。ギターボーカルを募集しているという彼に慌ててメッセージを送った。お互い「会ってみませんか」となった。

歌手になりたいと思ったのは小学生の頃で、高校からはギター教室にも通った。真剣に「音楽活動がしたい」と思ったのは大学の軽音楽部に入ってからで、バンドでオリジナル曲を作ってイベントを企画したりCDも販売し東京遠征もした。そのまま音楽の道に進みたかったけど、就職のために上京。諦められず社会人生活と同時に音楽学校にも通いはじめた。そこに通えば何か前進すると思ったけど、何もないまま上京2年目。気づけば24歳になっていて、あと1年以内になにか軌道に乗らないと人生終わると焦り登録したのが例の掲示板だった。〈ギターボーカル〉として登録して数ヶ月、会ってもメッセージとかけ離れた人ばかりで上手くいかなかった。その最後の最後に見つけたのが、Sくんだったのだ。

待ち合わせは下北沢駅、南口改札前。
見た目や歌声はインターネットで(たぶんmyspaceで)知っていたけど、ギターを背負いながら「○○さんですか?」と現れた彼は、落ち着きも屈託ない声も想定以上にSくん過ぎて、希望のなか「はい、はじめまして」と私は答えた。

そのまま喫茶店で話した。音楽の好みも方向性もすごく合い、2時間以上盛り上がった。私が活動していたバンド音源も聴いてもらったら「いいですねえ!」「かなり好きです」と前向きな反応だった。それから私は「自分がどんな音楽をやっていきたいか」を最大の熱量で伝えた。(私はYEAHYEAHYEAHSやゆら帝が好きで、音楽的には彼らのように独創的でサイケデリックで、でも芯はポップで、そこにテクノやジャズっぽい要素も取り入れたい。音がどれだけ複雑でも、あくまでキャッチーな「新しい音楽」が作りたい。油絵も長くやっておりステージでも披露してきたのでそれもライブに取り入れたい。自分たちにしか表現できない音楽表現で、本格的にバンド活動していきたい、と、一気に彼に伝えた)

そんな私の話に彼は「いいですねえ!」「最高ですね」と応えてくれて、最終的にはその場で「いっしょにやりましょう!」となった。長かった。やっっっっっっっと始まる……と泣きそうになった。Sくんとここから、とんでもなく大きなことが起こる、と世界の全部が新品になった気がした。

ひとまず曲を作るため「次はスタジオでセッションしましょう」という話になった。

それから1週間後、二人で初めてスタジオに入った。忘れもしない下北北口の音楽スタジオ。「忘れもしない」なんて書くのだから特別で暖かなバンドエッセイが始まるかと思ったら大間違い。スタジオは冷房が効きすぎていたけど体は芯から熱かった。私はGibsonのSGというギターを愛用していて、エフェクターやマイクなどすべてセッティングし終えた頃には、Sくんもセッテイングし終えていて、いよいよセッションのはじまりだった。

そのセッション2時間が、どんなものになったかと言えば「無」だった。私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は(と時間稼ぎしたくなるくらい書くか迷うが)私は、ギターが弾けないのだ。楽譜も読めないしコード進行も知らないし曲を作ったこともないしセッションをどうやればいいかも知らない。さっき恥ずかしすぎてカッコ内にしか書けなかったが(私はYEAHYEAHYEAHSやゆら帝が好きで、音楽的には彼らのように独創的でサイケデリックで、でも芯はポップで、そこにテクノやジャズっぽい要素も取り入れたい。音がどれだけ複雑でもあくまでキャッチーで「新しい音楽」が作りたい。油絵も長くやっておりステージでも披露してきたのでそれもライブに取り入れたい。自分たちにしか表現できない音楽表現で本格的にバンド活動していきたいと伝えた)……という野望どころか、音楽自体まともにできない。ギターは軽音に4年いて学校にも通ったのに簡単なコードしか弾けないまま、オリジナルバンドでは元彼が作ってくれた曲に歌詞をつけただけ。テクノやサイケが何なのかも分からない。油絵は中2から描いたこともない。音楽的文脈での宇多田ヒカルの良さもよくわかんない。Sくんと音楽的趣味が運命的に一致したのは当然で、彼のプロフィール欄を私が読み込んだからだった。

募集サイトに正直に「楽器は弾けません、椎名林檎が好きな、ボーカル志望の女です」って書けばよかったのにそんな素人女みたいなやつ本物のギタリストに選ばれるわけないと思った。価値がない人間だと見限られる勇気がなかった。東京で本物のふりをして「本物」のギタリストと出会えば勝てると思った。東京に勝ちたかった。人生に勝ちたかった。劣悪失礼な最低行為だった。

なのに。そのスタジオで、Sくんはセンスの良いフレーズを鳴らし続けた。それに対し弱めにジャーンと弾く私は自分が何のコードを押さえてるかも分からず全身から汗があふれるけど、思いきり顔をニヤニヤさせながら手を止めなかった。不協和音のなか演奏しつづけるSくんは本当に優しい人で、こちらが「セッション」に入れるよう何度か目配せをしてくれたけど、途中から目が合わなくなった。私は白い壁の小さな穴だけ見続けて腕を動かした。

スタジオを出た私たちは駅の反対側までニコニコ歩いて、餃子の王将に行って、乾杯した。それで何事もなかったかのように「これからやりたい音楽のこと」や「どんなライブをしたいか」を話した。それでごく自然に、次のスタジオはいつにしましょうという話もした。そうしてお腹いっぱいになって楽しく酔っ払って解散した。それでぜんぶ終わった。

……と言いたいところだけど全然終わらない。なんと私たちの「セッション」はそこからなんと1年続いたのだ。

途中からは私の大学軽音の友達も一緒にスタジオに入ってもらうようになった。ドラムが叩けるその子は、私がまともにギターを弾けないことを当然知ってるけど、毎回何も生まれないスタジオ時間を3人で過ごす。終わったら王将に行くけど、スタジオ内のことには誰も触れない。だけどCDまで貸しあったりして、やりたい音楽の話とかはする。私とドラムの子は二人きりのとき「彼は私たちとスタジオに入って大丈夫なのだろうか」と心配しながら話すけど直接は聞けない。それでまたスタジオに入ったあと3人で飲みながら、バンド名はどうしようとか未来について真剣に話すのだった。

それを1年ほぼ毎週末繰り返したころ。私が元彼にギターを持ち去られたことなどをきっかけにこの関係はなんとなく終わり、私は音楽自体をやめた。それ以来Sくんと連絡を取ることもなく、ほぼ下北沢にすら近づいていない。mixiとか色んな募集サイトに登録してたこと自体もほとんど忘れて、約10年思い出さないようにしてたら「もしかしてあれは時空の狭間の、エアポケットとかだったのかな?」と非現実的にさえ感じるようになった。結婚して子供も育てつつ、映画館で高く短くさけぶ瞬間まで。

〰️

子供達が両隣にいる映画館。あの恋愛映画の予告が始まったとき。最初は男女二人がそれぞれ映っていて、語りの声が重なっているだけだった。そこから、だんだん2人の関係が近づくシーンが増えていって、ある交差点のシーンで、大音量で流れだしたサビに私は「好きすぎる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とまず思った。え、これ、何てバンドだろ?曲も声も良すぎ、なにこれ凄い、とか感じた2秒後、体が固まって叫んだ。バンド名と曲名が表示されてた。それは、Sくんのバンドで、Sくんの歌声だった。

新しいバンドでSくんが活動していることはSNSで知ってた。やや人気だということも分かってたけど「知る人ぞ知る」みたいな立ち位置だろうと予想していた。なぜ〈予想〉かといえば私は頑なにその音を聞かないようにしていたのだ。一度Applemusicでこのバンドの曲がおすすめされそうになったときヘッドフォンを急いで外して画面を切った。24歳の頃の浅はかな自分を直視するのが無理だった。それに、歌声を聴いてしまい「Sくん本人だ」と認識してしまったら「こんな本物の天才をあんな素人の自己満に付き合わせてしまった」というとんでもない罪悪感にいよいよ潰されると恐ろしかった。

映画館で流れる(ほど売れてる)なんて想定外すぎ。弾けもしないギターをわざわざ背負って「はい、はじめまして」って余裕の笑顔で答えた南口改札前の自分からずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと逃げてきたのに捕まった。その音を聴いたら(精神が)死ぬと思ってたのに、なにより想定外だったのは本当に本当に曲が好みすぎることだった。その数日後には我慢できず全曲ダウンロードして聴いた。音楽理論的には全くわからなかったけど、めちゃくちゃに好きだった。その日から私はそのバンドに夢中になった。

映画館で聞いたその曲は、その後とても売れた。国民的音楽番組にもフェスにも出まくるようになる。さらに月日は流れ私は35歳になり、2021年。

私はまたしても下北の記憶から遠くに離れながら、なんとエッセイストになっていた。エッセイのコンテストで入賞し連載もして、本も出した。が、そんななか私は2020年末から「小説を書く」と言い出しエッセイの仕事をすべて断り毎日小説を書くようになる。この生活自体が「間違い」だったのだが、気づかずそのまま2021年夏になった。

そんなある夜。わたしは初めてSくんのライブ映像を見ることになる。曲は何百回と聞いてきたけど「動いてる映像」は(恐ろしくて)一度も見たことがなかった。この日はなぜか見れる気がして、というか見たい気持ちに敵わなくなって深夜、リビングでひとり正座して見始めた。大きなイベントの中継としての放送だった。

ライブがはじまると「動いているSくんが本当にSくんだ!」という事実に叫びそうになるが、そんなことどうでも良くなるほどに私は槍でぶっ刺される。意識はほぼ即死のなか脳をステージに引っ張られながらSくんを凝視する。この時この映像を見た全員がそう思ったのか、私だけかわからないけど、すごいステージだった。演奏も歌声も表情も動きもすべての凄みが合わさって、なによりもSくんのまぶしさがえげつなかった。「本物だ」と思った。来る日も来る日もひたむきに音楽を続けたであろう人しか得られない姿がそこにあった。良すぎて泣きそうになりながらそのとき私がハッキリ感じたのは意外にも「もしもこの先わたしが、こんなにもこんなにも努力して一つの光にむかい突き進む彼の、こんなにもまぶしいこの姿に向けても、恥ずかしくない自分の姿になれるとしたら、それってなんなんだろう?」という問いだった。「わたしはどんなことでこの先、これほどまばゆく堂々とまっすぐ胸を張れるんだろう????」と考えだしたとき「あ、間違えた」と気づいた。おんなじだ、と思った。やってしまった。35歳のわたしは24歳のわたしと、おんっっっっっっなじ間違いをおかしてた!!!!!!また!!!!!!!!!またかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

24歳の終わり。

Sくんたちと1年近くセッションを続ける会社員の私は、吉祥寺で一人暮らしをしていた。そこにある日、数年ぶりに連絡をとった元彼が会いにきてくれることになった(名古屋から新幹線で)。その元彼と楽しく過ごしていた2日目の夕方ごろ。部屋の真ん中で大喧嘩になった。だいたい私が悪いんだけど(恋愛に10:0なんてないが)いままで一度も怒ったことのないその彼が勢いよく立ち上がり、部屋の端に立てかけてあったわたしの赤いギターを掴んで、そのまま外に出て行ってしまった。

ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…?と遅れて声をあげながら、私も財布と携帯だけ持って飛びだし、中道商店街を走ったけど見つからなくて中央線で東京駅までいって新幹線のホームで喫煙車両を探しまくってもダメで、結局ギターも元彼もいなくなった。そこから数週間ずっと悲しい悲しい無理無理と同僚や友達に話を聞いてもらい慰めてもらいながら、だけどわたしは心の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥ではじめての、“開放感”を感じていた。それは、「これでもう音楽やらなくていいんだ」っていう安心だった。極論、音楽なんてしないまま音楽の人として売れたかった。募集サイトに嘘を書いたこと以前に(それも間違いだけど)やりたくもない事に固執し続けたことから間違ってた。

小説も同じだった。なんと私は「小説を書きたい」と思ったことが一度もなかった。書かないまま芥川賞が取れるならそれが良かった。35歳になったばかりの2020年末から(正確には2019年前半からもたびたび)毎日大量に小説を書き続けたけどエッセイと違って前に進む感じがなく、思えばギターに似た手応えだった。熱量が一切ないから、一応練習はするけど上手くならない。

椎名林檎になりたいだけでギターを弾きたいわけでもなんでもなかった私は、川上未映子になりたいだけで小説を書きたいわけでもなんでもない私になっただけだった。エッセイ本を出したら小説家をめざして文芸誌で評価されるのが「成功人生」と思ってた。認められたり妬まれたりしたかった。同世代の書き手や、私を舐めていそうな同業者から。実際誰も私のことなんて見てないのに架空の視線だけ意識して「勝たなきゃ」と必死だった。東京のタイムラインに。他人の新しいお仕事報告に。

ライブ映像を見終わったとき、清々しい気持ちだった。

彼が音楽で駆け抜けるこの世界線で私がワンチャン同じように輝けるとしたらなんなんだろうと勝手に考えたら自然と「エッセイしかないのでは」と感じはじめてた。35年、いろいろ手を出してはすぐ投げ出してきた私が何年も熱意を失わなかったのがエッセイだった。連載原稿が書けず苦しいときもエッセイを書いて癒されたほど、素直にのめり込みつづけた。なのにこの1年は「小説のネタに取っておかなきゃ」と、書きたいエッセイを我慢していたのだ。

アホなの??やりたいことを捨ててやりたくないこと続けるの、アホなの????と混乱する読者もいるかもしれないが、このアホ地獄が分かる人もいるのではないか?アホとかじゃなく、たぶん“信仰”だった。私の信仰の先、光り輝く神はいつだってASAYANだった。【幼い頃からの夢を必死に叶える人生】だけが正解と信じてきた。90年代後半から音楽界に憧れすぎて「そこで生きる人になる!」だけが正しい道だった。高1から憧れた小説界も同じ。そこから外れたら失敗で地獄で死。

だけどこのたび気づきました。

「本物」っていうのには、成功人生とかそういうのは関係なかったです。支持される数でも舞台の大きさでも発行部数でもない。初めてライブ映像をみた数日後、夏布団のなかそのまぶしさを思い返しながら私は突然「あのまぶしさっていうのは気持ちよさでは?」と思った。ステージでのSくんは、本当に気持ち良さそうだったのだ。それで「本物っていうのは気持ちよさを追求できる人なのでは……?」といきなり感じた。自分にとって何が本当に気持ちいいことか知っている人は、たとえ困難で面倒で苦しい局面だろうが、のめりこんだまま走れるのかも。それが「本物」の最低条件ってこと?

「迷ったら危険なほうを選べ」的な格言が大嫌いだったけど、こうなると私の場合「気持ちいいほうを選べ」を意識したらこの先同じ間違いはしない気がしてきた。いやべつに、苦しみながら小説を書きたい人は自由にすれば良いんだけど、私の場合は現状、熱意も需要もないのに意地で続けるそれは完全に「間違い」だった。

その証拠(?)に、夏布団で大発見をした翌朝のわたしは大爆笑していた。「もう小説書かなくていい!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とおそるべき開放感に包まれていたのだ。朝日に吐き気はしないし、殺される夢も久しぶりに見ない。体が軽い。それから毎日、このエッセイを書き続けた。あの頃の私と融合しながら私は解放に向け全力疾走するようにこの段落まで進んでいる。もう気持ちいいことに全振りしたい。

……ところであの頃。

なんでSくんは私を見限ったりせず「セッション」を続けてくれたんだろう?と今までずっと不思議だった。(恋愛関係は勿論まったくないしお互いずっと敬語を使う距離感だったし彼に得はなかったのだ)

その理由がずっとわからなくて、いや今も実際わからないけど、この文章を何ヶ月も書き進めながら私は初めて「もしかしたら」と勝手に思った。もしかしたらSくんは、本当に本当に音楽が好きな人だったのではないか。だから私のような素人の「音楽がしたい」という気持ちさえ無碍にせず、大切にしてくれたのではないか。それほど音楽や人に対して温かで真摯な人だからこそ、あれほど人々の心を丁寧に掴んで揺らすような音楽がつくれるのではないか。

(このnoteを本人が読むことはないだろうし覚えてるとしたら最悪な記憶だろうけど)とにかくあの頃、ずっと馬鹿にせず対等に関わってくれて、本当にありがとうございました。自分のことしか考えないで貴重な時間を奪って、本当に申し訳ありませんでした。あのときSくんに、心を折らずにいてもらえたおかげで、私はその後も東京にしがみついたまま、無謀な挑戦が続けられました。さらに「あんな本物と一年やっても何もならないくらい私は音楽に向いてない」という事実が刻まれたおかげで、きっぱり諦められました。これからもずっとファンとして、あなたの音楽を楽しみにしてます。

最後の最後の最後に。

もうすぐ終わるこの文章が結局なんなのかといえば、多分9000字のライブレポートでした。家でひとりで観ただけの特大ライブ配信映像にこんなに気持ちが動くんだから生でみたらどうなるのか。さすがに申し訳なさすぎて今世そんな勇気持てる気がしないけど、でも生きてるあいだ、一夜だけでいいから、直接ライブが見てみたいなあとも願っている。世界はある日突然新品になったりしないし人生は変わらないし全部は地続きで〈間違い〉は間違いじゃないことにはならないけど。今夜だけ、みたいな一度この目で見てみたい。

おわり

(これは2021年11月にnoteに書き下ろしたエッセイを、大幅加筆修正したものです)

元記事https://note.com/suisuiayaka/n/nbd196b42420a?magazine_key=m165e87f2d54c

By
スイスイ/エッセイスト