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Feb 18, 20267 hours ago

Wanting to Change Your Life

スイスイ/エッセイスト@suisuiayaka

AI Summary

This reflective essay begins with a memory of a dismissive message—"I don't think living together will change my life"—and unfolds into a profound meditation on how life actually transforms. The author recounts a frantic, comedic, and ultimately fateful night in Tokyo a decade prior, chasing a last-minute roommate to secure a dream shared house. This personal story dismantles the cliché of "wanting to change your life," contrasting hollow ambition with the unexpected, messy reality of connection.

2022年2月富良野。
氷点下の風を受けながら私は、10年前カカオトークに届いた「一緒に住んでも人生変わらへん気がするから」というメッセージを急に思い出していた。

ところで「人生変えたい」と言う人は人生を「どう」変えたいか具体的に考えてないことが多い。もし具体性があるなら(どんな仕事して/どこに住んで/どんな媒体に載るとか?)それに向けて行動を変えれば良いだけで「人生」なんて大きく括らなくていい。童話『ウサギとカメ』において最初に走りだして途中で寝て負けるのがウサギだけど、人生変えたい勢はそれ以前で、スタートラインで決起集会だけして終わる!あ〜人生変わらないかなあ〜と射倖心だけで他責で期待してんなよ?と私はかなりそういう人を馬鹿にしていた。

が。時はさかのぼり2011年初夏、東中野。知らないバーに駆け込んで、知らないお客さんたちに片っ端から「私たちと一緒に住んでください!」と繰り返すことになった私は「わたしの人生こういうことは起こらないよな?」と思ってたシーンの真ん中にいた。つまり「なんか人生……勝手に変わり始めている?」と思った。25歳!あの日人生ゲームのシートから自分がはみでて転がりだした感じがあって「すべて自分の手の内にある」と思ってた「人生」という概念が狂いはじめた?

その日を振り返る。蒸し暑い7月のはじめだった。私は会社同期のKとふたりで知らないバーに確かに駆け込んでいた。Kが店員さんやお客さんに「来月から僕たちと住みませんか?」「僕たちと住んだらこんな良いことがあるんで!」と声をかける。私たちはその日、とにかく翌朝10:00までに「自分たちとルームシェアしてくれる相手」を獲得しないといけなかった。

不動産屋でその条件を言い渡されたのがその6時間前、正午。そこから日が暮れだすまで友人知人に連絡しまくり会いに行き「一緒に住もう!」と説得しては断られていた。どんどん風が冷えて夕日が深まり東中野の半分は真っ赤で半分は真っ暗。「時間ないな」と17:00の山手通りで立ち止まったとき「ここで探そう!」とKが急に目の前の外階段を登って店のドアを開けたのだった。「一緒に住みましょう!」と真顔で説くKを、店内のみなさんは面白がり優しく耳を傾けてくれたけど、やっぱり誰も「住む」とは言ってくれず(当たり前)時間だけ経って泣きそうになる。

そもそもなぜそんな事になったかといえば、そこから2ヶ月遡る。春。わたしとKが所属してた編集部同期6人で、珍しくホテル高層階で飲みながら「みんなでルームシェアしよう!」というノリが始まった。今思えばシティすぎる時間だった。その雰囲気がうねり、その夜はじまった「ルームシェアしようよ!」は、日が開けても(カカオトーク上で)途切れず週末には物件を巡ることになる。

なのに2週間後。いきなり女子2人が「私たちは中目に住むことにした」と抜け駆けルームシェアを発表してきた。はあ?みんなで住むって言ってたのに?東京すぎるだろ、と混乱するなか結局わたしとKともうひとり、Wという男性同期の3人が残り、結束を強めながら、夢みたいな一軒にめぐりあう。

中野駅徒歩10分、4DK。広すぎる屋上付き。3階建ての3階全部。広いリビングとアイランドキッチンに加え個室4つ、家賃26万。(2階が音を出すタイプの宗教団体という理由で)ある程度騒いでもOK。4人で住むのが理想だったけど、あまりに良物件すぎて、一旦「3人で」の契約を進めることにした。審査は順調に進み、いよいよ本契約というタイミングで、まさか。Wが「やっぱやめるわ」と言い出したのだ。カカオトークで彼はこう続けたのだ。

「一緒にルームシェアしても、俺の人生変わらへん気がするから」

悪い意味で衝撃だった。まずルームシェアなんかに「人生変える」ことを期待してたこと、それが「変わらへん」という判定をなぜか下していたこと、別に他の理由でごまかせばいいのに正直な理由を送ってくる純真さ!そうだそもそもWは人生を変えるとかインドとかが好きな高円寺の男だった。忘れていた。とにかくWはWなりに真剣に悩んだのだ。引っ越す前に合わないって気づいてくれて良かった!ありがとう!と今なら思えなくもないがタイミングアホやろと当時はびっくりした。

東中野に2本そびえたつあのデカ換気塔で殴られたような私とKはすぐ不動産屋さんに連絡した。すると同物件にもう1組ルームシェアしようとしている団体が待機してるらしく「すぐに契約されない場合その方々に譲ることになります」と言われた。Kと2人で契約する?とも考えたけど、費用的にリスクが高すぎる。

「もう一人見つけてみせるので待ってもらえませんか」と相談したところ「明日の朝10:00までで」と譲歩してくれた。残り22時間。それまでに一人確保しないと終わり、と追い詰められた結果があのバーだった。

なんの成果もないままバーの外に出たら真っ暗。星まで見えて、不動産屋さんも閉まってる。つまり今から新住人を確保しても内見すらできない。だけど翌朝10:00には契約しないといけない。絶体絶命ってこういうことを言うんだ?わたし一人なら諦めていた。というかルームシェア話をここまで進めるのも無理だったし知らない人に声をかけるなんてことも一生なかった。Kと仲良くなって一年近く、その時点で私はそれまでの自分では絶対しないことばかりしてた。

Kのことを書く。

いつだったかある夜、Kを含めた何人かで高速のパーキングエリアに寄ったとき。閑散とした食堂でカレーを注文したKは、ルーだけ早めに食べてしまい、白米が残ってしまっていた。するとKはそのお皿を持って立ち上がり、厨房をのぞいて「おばちゃん!カレーおかわり!」と叫んだのだ。もちろんそんなシステムないんだけど、中にいたおばちゃん二人は見つめ合い笑ってしまいながら、最初の倍くらいのルーをかけてあげてた。その光景を眺めながら私は、こいつのこの絶妙な距離感は何?と頭を真っ白にした。高校のとき北海道から沖縄までヒッチハイクで移動した経験がその性格につながってるのか?大学で留学生たちと過ごした影響か?とはいえ別に熱い人間でもなく先輩から飲みに誘われるたび「歯医者なんで」と真顔で帰る合理主義者だった。自分の大事なことだけに力を発揮するのだ。

絶体絶命の東中野に戻る、20:00。暗くなった山手通りで携帯電話の連絡帳をもう一度眺め出したKが「あ、Nさん」と手を止めた。NさんというのはKの大学の先輩で寮も一緒だったらしく、日中の連絡のとき手違いで飛ばしてしまってたらしい。ためらわず電話をかけるK。そこで「住まなくてもいいんで!ひとまず中野来てください!」という口車に乗せられるNさん。わざわざその時間から来てくれることに。

Nさんは大手音楽会社で働いているらしく、お金にも余裕がある気がするし恋人もいない気がするし、いける気がする!というKの話にわたしも一瞬前向きになるが、Nさんと私はその日が初対面なので考えるほどハードルが高い気がするけどひとまず物件周辺(中野)で落ち合うことに。

そこに本当に現れたNさん。(亀田誠治が来たと思った)挨拶してすぐ、鍵が閉まっていて入れない物件を一緒に外からぐるぐる巡り眺めた。Kも私も必死で「Nさん!ほらあそこが屋上です!あの3階がぜんぶ僕たちの物件です!窓7枚分ぜんぶリビングです!広くないですか?!」と外から言えるメリットを捲し立てていた。そこからそのまま中華料理店に移動。KとNさんの共通の友人も合流して、4人で乾杯した。

さあNさんどうするんですか?!と明るく詰めまくる私たち。Nさんは、うーーーん、いやーーー……と腕を組む。僕たちと住んだら本当に楽しいですよ!Nさんの好きな料理も広いキッチンでできるし、屋上でパーティーざんまいです!僕たちと暮らしましょう!新しい生活を始めましょう!始めないんですか?!とかKが繰り返していたら、唸り続けたNさんがいきなり顔をあげて言ったのだ。

「うーーーーーーーん、住むわ。」

ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?!?!(号泣・総立ち)

Nさんの名字は「Nみちさん」というのだけど、これが後々「Nみち決め」として語り継がれる瞬間だった。とにかくその日Nさんが「Nみち決め」をして、部屋の中も見ていないその物件での生活を決めてくれたことにより、無事わたしたちの「ナカノハウス」が始まることになった。

青春と名付けられるすべてのことを私はそこで叶えた気がする。中高の部活はすぐに辞めたし嫌な記憶ばかりだし、大学は軽音学部に入ったものの陰湿恋愛地獄なので青春とは真逆、日の当たる前向きな楽しさから無縁だった私は25歳の夏からかつて思い描いたとおりの、いやそれ以上の「東京のルームシェア生活」を謳歌した。

広い屋上でバーベキューも流しそうめんもして花火も見た。みんなで近所の居酒屋の一日店長もした。(今その居酒屋は人気マグロ専門店になっている)パーティには毎回4.50人きてくれて、そのなかには抜け駆け中目ルームシェアの2人(すっかり仲良し)も「人生変わらへん気がする」のWも何度もきてくれた。なによりNさんとKの出身校があまりに国際的でゲストの外国人率が高く留学してるくらい日常が変わった。ちなみにもう一人の住人女子はすぐに決まった。それ以降も募集サイトを通してかなりの応募が来た。TOKYO GRAFFITIのルームシェア特集にも載った。でも私がなにより楽しかったのはそういう派手なことじゃなく、なんでもない夜の会話にもならないやりとりだった。

毎日一緒にいると話すことがなくなる。だからルームメイトとの会話はいつのまにか報告でも相談でもなく忘れられない元恋人の話とかでもなく、ほぼ忘れていた元恋人とのフードコートでの出来事とか、悔しくも感動もない景色とか、昨日見たどうでもいい夢とか、独り言の共有だった。ルームシェアをしなかったら絶対に他人としなかったであろうそんな会話がリビングにあった。私にはそれが嬉しかった。

「東京に出たい」と思ったのは実家から離れたかったのと母から逃げたかったからだった。とにかく都会で何者かになって成し遂げたくて、最初は上京ハイだったけど途中から普通に寂しかった。ルームシェア前に住んでいた吉祥寺のアパートでは、予定がほぼないし、会社以外に出会いもなく友達も増えない。いざ飲み会に行っても、とっておきの面白い話をしないと見限られる気がした。だけどその広いリビングで私はいつも何でもないままでいられた。それは実家でも叶わないことだった。私は気を抜いたままコタツで寝そべり商店街で買ってきたたこ焼きを囲んでNさんがスパイスから煮込んだカレーを食べて珈琲豆の挽き方を教わりドラマに笑ったりした。青春って派手なものだと思ってたけどそうじゃなくて、地味にうれしいことが続く日々だった。あれが私の青春だった。

長年住んだような感覚だったけど結婚を理由にわたしは実質1年強でその家を出ることになる。そこから女子メンバーは何度か入れ替わり、だけど、男性陣だけは一度も変わることがないまま、ナカノハウスは5年続いた。(つまりNさんは、あれから5年も、そこに住んだのだ!!!!)

愛知県の山で開催した私の結婚式ではナカノハウス関連のみんなが仕切ってくれて、実家にもきてくれた。気難しすぎる私の母もKには気を許して、家族ぐるみでKが大好きになった。

あの青春からちょうど10年経つ。

いまKが何をしているのかと言えば(あえて一気に書くが)彼が高校生のときヒッチハイクしながらキックボードで北海道に辿り着いてお世話になった富良野の米農家さんに恩返しするため東京から移住しその農家さんの元でお米を作りながら、富良野で議員をしている。(厳密には上富良野町。選挙カーを買わずに超DIYで街頭挨拶をした選挙活動が話題になりニュースにも取り上げられていた)さらには私生活において、SNSで「富良野にきてくれる結婚相手」を募集して見事成就し、富良野で結婚生活を謳歌しつつ家を買い、そこで民宿を運営している。(富良野で譲ってもらった秋田犬も飼いはじめた)

と。あまりに大事な思い出すぎて、7ヶ月もかけてここまで書いた私は気づいた。このエッセイのラストにはKとのツーショットが必要!それで2022年2月、急遽はじめて富良野に行ってきた。わたしと息子ふたりとの3人旅だった。

氷点下の風を受けながら私は、あの日カカオトークで届いた「人生変わらへん気がするから」を猛烈に思い出していた。

先頭をKが、秋田犬のマルコを連れて進む。その後ろを息子たち、さらにすこし遅れて私が続く。深雪はどこまでも柔らかく、油断すると太ももまで埋もれるから緊迫する。だけどKは、毎日自分にしかわからない同じ箇所を散歩してるから、そこだけ雪が固まってるらしく落ちたりしない。わたしたちはKが開拓して踏みしめたそこを着いていく。

慎重に進みつつ私は「Kって、人生変えたいとか思ったことないだろうな……?」とはじめて考えた。「人生変えたい」なんて思う人はそもそも現状に猛烈に納得してない人だ。Kはいつだって自分が進みたい方向を見つけ、そこに道がなかろうが即進んでいた。ほかの人が怖気づくような新雪でもかまわず踏みしめ、気づけば道を作り、その後ろにはKのことを好きな人たちがどんどん続く。そうだルームシェアだって、出会った頃のKがシャワーしかないゲストハウスに住んでたから真似したくなったんだ。

てか人生なんて、自分がどう行動するかだし誰と住もうが変わらないし他力本願で「変えたい」とか期待すんなよバーカ自力で変えていくんだよ!!!!!!とか当時思ってたけど、まさか人生って「自力」で確かに馬力はあがるが「他力」で変わってく部分こそが「豊かさ」とかを広げていく……?誰かと関わることで、自分が手綱を引いてたはずの毎日は、想定してた柵の外に、転がりだしていく??だからあの夜以降わたしは、ひとりでは見れない景色ばかり見てきた?シェアハウスを出た私がCMプランナーになってエッセイストになって自分の本を出したのも全部、日曜朝のリビングでKに「あーちゃん死ぬまでにやりたいこと100書こ!」と唐突に言われたことから始まる。一人きりの吉祥寺の部屋ではそんなの書こうとも思わなかった。他者との関わりも大事すぎ?これって当たり前のこと?知らなかった。やっと知った。

童話に生きるウサギでも亀でもない私たちは道でもない所も自由に進める。好きなものを食べ好きなように眠れる。「勝ち負けなんてない、やりたいことをしたもん“勝ち”!」という矛盾したこの時代に、結局“正解”を求めることになりくじけがちだけれど誰かに追い風をもらいながら、知らない場所に飛ばされつつ、ラフに「人生変えながら」進んでみることも、悪くないかもしれない?

と、富良野から戻りここまで書いた私は、このエッセイをどう締めるか悩んでいた。「私の友達すごいでしょ!みんなも良い出会いを!(あるいは大切な友人と良い時間を!)」で終わるのは容易だけどそんな一方的な成功発表でいいのか?もし今回これを読んだ誰かが「たしかに人生変えたいとかダサいと思ってたけど、こういう出会いならしてみたい」とか思ったとして、でも実際Kみたいな適材あまりいない。となるとこの7000字って壮大な落とし穴じゃん??「こういう出会いが欲しい人はKの民宿に泊まってK本人に出会ってきて!」とも思ったが、そんな沢山の人は泊まれない。そうして富良野から戻って3ヶ月、悩んで書き直しまくった結果。

急遽、Kとのpodcast番組を始めることにしました。マイクも用意して勉強して収録したので、一緒に新雪踏んでください。一人きりの部屋で夜中聞いたとしても、もしかしたらその誰かの人生ゲームのシート枠も狂ってくかもしれないと願って。

おわり

(これは2022年6月20日にnoteに書いたエッセイです)

【そして!!!!!!!この4年後!2026年現在!!!!!!!!!】

なんとこのエッセイを書いてから4年弱経った。私とkkはこの記事の公開後すぐにpodcastをはじめ、毎週水曜日に更新し、なんと現在最新回は196話。なんと4年間、毎週の更新を一回も休んでいない!

いらないものを捨て、自分の快と不快を選別しまくる頑固な私は、考え方のかなり違う部分も持つkkと番組のなかで新しい発見をしまくっている。ひとりで人生変えるぞ、っていうのも有意義だけど、kkに出会って翻弄されてこんなことになって良かった。人生という帯より、毎秒の点が大事ではあるけど、振り返るとだいぶ「変わった」なあと思う。

最新回⇩
https://open.spotify.com/show/35dYpan39nmBPVUFL9jjbj

noteも!ある!!!!!!

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スイスイ/エッセイスト